邦ドラマへの愚痴

さて、多分既に一億三千万回くらい書かれてきたであろう内容。

 

実家に戻ってきた今年の五月くらいから、夕食時には親が見ている邦ドラマを強制的に見せられる。

それが糞つまらないので愚痴る。

 

実家でこれまで見てきたドラマってほとんどが台詞で泣かせようとしていた。

それが嫌。

 

それで感動できる人はそれでいいのかもしれんけど、感動って、その場で起こるものじゃなくて過去と現在と未来が連携して起こるものでしょう。

 

で、邦ドラマの長台詞ってその場だけを切り取っても理解できるように、感動するための理由が台詞の中に押し込まれてる。

本当に糞だと思う。

登場人物の発する長々しいヒステリックな説明を主題歌のピアノアレンジに乗せて聞いて、「あ、ここ感動するところなのね。こういう理由だから感動すればいいのね。なるほどなるほど。じゃあ私感動しますよ」という思考を強制させられているように感じる。

 

具体的な中身は全く記憶していないので、以下に簡単な例を書いてみる。

 

A「目玉焼きにソースかけるわ」

B「ふざけないでよ!!(ヒステリックボイス)」

(A,目を見開いてBを見る)

(主題歌ピアノアレンジ開始)

(少し間を置く)

B「ふざけないでよ…(震え声)」

(少し間を置く)

(B, Aのことを見つめる)

B「貴方約束したじゃない…君の作ってくれた料理は美味しいって、君は料理がうまいって…あれは嘘だったの…?本当のことじゃなかったの…?私ソースなんて作ってない…目玉焼きしか作ってない…(一言言うたびに少し間を置く)」

(B泣き崩れる)

A「いや、そんなつもりは…」

(スーツ姿のC,スクっと立ち上がる)

C「いえ、Bさんの言うとおりだと思います。」

A「C…」

C「Aさん、Bさんがどれだけ頑張って目玉焼き作ったと思ってるんですか。

貴方のことを、どれだけ心に思って目玉焼きを作ったのか、ご存じですか?

昨日の夜から、私に何度も言うんです。『明日目玉焼き、あの人に作ってあげるんだ、喜んでくれるかな』って…。

私、そんなCさんを見るの初めてでした。

ほんとうに嬉しかったんだろうな、Aさんの事好きだったんだなって、正直羨ましいくらい。

だから、あなたにBさんのことをとやかく言う資格なんて、ありません」

(AとC、ともに顔をゆっくり回転させてBの方に向ける)

(少し間を置く)

A「ごめんな、B。お前の気持ち、気づかなくて。」

(A、Bを抱きしめる。A、泣く。B、更に大声を出して泣く)

 

まぁここまでわんわん泣いたかはあやふやだけど、おおかたこんな感じ。

普段邦ドラマ見てる人なら上記を実写化してもさしてストレスなく見れるのではないでしょうか。

 

あと、普段の生活でもに美男美女や権力者が大声を出して主張した内容は面と向かって非難しにくい空気があるので、こういったシーンが嫌いなのはそれも大きく影響しているのかもしれない。

 

日本のドラマでもtrickなんかでは言葉少なで良かったと思うけど。

 

あとは役者の演技がすごいテンプレ化しててすごく臭いこと。

長台詞がとんかつの衣だとしたら、演技が臭いのは肉の部分かな。

・ふてくされたときに頬をふくらませる

・びっくりした時に最初の文字を繰り返す。例)ラ、ラ、ラーメン!?

・落ち込んだらため息

・怒ったら胸ぐらをつかむ

・おちゃめな行動の後には舌を出す

etc...

 

キャラクターもそう。

・姉御キャラ

・年下だけど言いたいことははっきり言うキャラ

・自分から何も主張しないけど実は実力あるキャラ

・主人公に文句を言いつつも一目置いてる上司

・主人公を心の底からバカにしている上司の上司

・世の中のこと知ってる系女子

・俺様キャラ

etc...

同じキャラでも描写には多様な方法があると思うんだけど、毎回似たような台詞と似たようなしぐさで登場してくるのは何故だろう。

パターン化されてないと一般的な視聴者にはウケが悪いのだろうか。

trickについてもキャラのパターン化は否めない(天丼ネタはいいとして、それ以外の部分で)

 

で、この手の記事には大体「邦ドラマに限らず海外ドラマだって~」みたいなコメントがよく付いているよね。

確かに海外ドラマだってパターン化されているのかもしれないし、有象無象から良い作品だけが日本にやってきてもいるのだろう。

 

でも、海外ドラマは基本的に自分で見たいの借りて見るんだもの、文句は出にくいだろうさ。

邦ドラマについては、現在のところ強制的に見させられる環境にあるのだから文句も言いたくなる。

そういうこと。

 

あと、プログラマーとして半年前に未経験で入っておきながら、ここ一ヶ月くらいまともに勉強してない。

やばい、と思いつつスカイリムのアイコンをクリックしてしまう毎日。

一度そういうパターンができてしまうとなかなか抜け出せない。

 

私はやばいやばい言いながらいつも結局頑張らないけど、邦ドラマ製作者はパターンから抜け出せるように日々頑張ってください。

 

以上。

bokete考察

うん、試用期間はなんとか切り抜けたんだ。

でも毎日仕事が遅すぎて、いつ首になるかわかったもんじゃないんだ。

だから定期券を三ヶ月分まとめて買う勇気が湧いてこないんだ。

 

本当は平日も休日も勉強しないといけないんだけどね。

hotline miamiにハマってしまってね。

1を早速クリアして、今2をやっているんだけどね。

全然勉強できてないね。

これは駄目かもわからんね。

 

でね、仕事上の問題点なんだけどね。

まず視野が狭いね。

物事を多角的に見れてないね。

あと会社仲間とご飯に行っても、話すこと無いね。

黙ってついていって、黙ってご飯食べて、自分以外の人が喋ってるのをニヤニヤしながら聞いて、黙って帰ってくる。

やばいね。

芸人とか、なんであんなノンストップで喋れんのかね。

ってことで、ユーモアについて勉強してみることにしたよ。

まあ、こんなのとか、

logmi.jp

 

こんなのとか、あるしね。

www.lifehacker.jp

そりゃそうよって感じだけどね。

うちの会社の社長も若くてユーモアがあって。

年一回、社長から「今年一年、うちの会社ではこんな成果があったよ」的なスピーチがあるんだけど、普通に面白いもん。

ユーモアって大事。

仕事ができない新入りなら、なおさら大事。

 

で、どうやってユーモア鍛えようかって話なんだけど、まあ勉強の基本は猿真似からってことで、とりあえずboketeのおもしろ回答についてそれなりに考察してみることにしたよ。

 

今日のお題

http://stamp.bokete.jp/34934295.png

 

「あるやん」って突っ込ませるタイプのボケですね。

ツッコミワードが限定されすぎて、わざわざコメントで突っ込むまでもないタイプのボケですね。

ここで重要なポイントは、口元ですね。

「俺、面白いこと言ってますよ。笑ってくださいよ」的な意図が透けて見える口元していますね。

口元大事 (参照:第一印象できれいでないとがっかりする部位−トップは口元)。

しかも口角が髭で隠れてますからね。

あからさますぎる髭で。

視線の流れとしては、グラサン→髭→口元→「コンプレックスですか?」→アゴ、となるわけですね。

全てに面白エッセンスが詰まっていますね。

読む人からすれば、最初に画像を見た時にはアゴなんて気にならないわけですよ。

グラサンと髭の印象が強すぎるから。

でもコンプレックスってワードで、アゴへの着眼点が追加されるわけですね。

そういえばそうだわ、こいつアゴやべぇな。なんで気づかなかったんや、ってね。

そういう隠れた魅力を引き出すためのボケでもあるわけですね。

この観点から見ると、ツッコミの要素を含んだボケとみなせるわけです。

つまり、この画像に対して「しゃくれてんじゃねぇよ」ってツッコミも、十分アリなんですよ。

このボケの投稿者はしゃくれ部分について金脈を見つけたわけですね。

 

では、この投稿者はどのようにしてこのボケを投稿するに至ったのでしょうか。

自分がコレと同様のボケを思いつくにはどのような思考を経ればよいのか、考えてみます。

答えありきの考察になりますが、勉強にはなるでしょう。

 

まず、画像からデータを収集します。

1. 画像の時点ですでに若干面白い 。 おもしろ要素:ニット帽、グラサン、髭、アゴ 

 → 身体的特徴は間接的にいじるべき

2. 電話している

 → 電話ネタは自由度高い。高すぎて迷子になる事も多い。

3. 自信満々そうな顔つきをしている

 → 電話ネタに絡めることができるかも。もしくは諦観を表すか。

4. この後、顔にサッカーボール当てられるんだろうな

 → わかりづらいネタなのでNG

5. 外が青いな。砂漠を走っているのかな。田舎なのかな。ヘリなのかな。

 → 細かすぎるのでNG

6. 首元の黒いのはなんだろう。犯人が首を絞めているようにも見える。

 → ボケに使うには苦しい

7. 携帯電話の形おかしくね。

 → 面白例えボケが浮かぶまで保留

8. 若干インテリ気取りな印象

 → 話し言葉に反映させるべき

こんな感じですかね。

ネタとしては1, 2, 3を使うことにしましょう。

で、

電話主に対して自信満々 (or諦観的)に何か言わせればそれだけで面白くなるはずだ。

ついでに身体的特徴を間接的にいじろう。

って方針が固まるわけですね。

多分、独力ではここまでが限界でしょうね。

ここから先は私の能力を超えた領域です。

 

よくよくみると、アゴが割れているわけですよ。

普通はグラサンと髭にしか注意がいかない。でもアゴにいじりポイントが隠れてる。

コレをいじらない手はない。どうやっていじるか。

 

そしてここからは更なるセンスの世界なんでしょうね。

"コンプレックス"というワードを弾き出した投稿者は、少しインテリっぽいワードを使うことで画像の人物が発しても違和感のないように気を遣っている点で素晴らしいと思います。

これを発想できるか否かは、単純に脳内にどれだけのシナプスが張り巡らされているかって話になるのでしょうか。

 

私だったら、仮にこの段階まで来れたとしても、

「サメを英語で?シャークですよシャーク。」

とか

「マイクの位置と人体構造的に、口がもう少し下にあっても良い」

とか、自分でも糞つまらないとわかる答えしか出せないでしょうね。

 

更に素晴らしいのが、「コンプレックスですか?」と聞き返しているところ。

相手からの通話内容を周りに聞こえるように喋るのはドラマのお約束ですが、まるで雑誌のインタビューに答える芸能人のようなウザさを織り交ぜているのが素晴らしい。

”ですか?”がそのウザさを生み出しています。

やはり「コンプレックス?ありませんよ」ではパンチが効いていない。

"ですか?"という言葉にこのような「鼻持ちならない印象」を与える効果があるとは思っていませんでした。

先程の

「サメを英語で?シャークですよシャーク。」

 

も、

「サメを英語でですか?シャークですよシャーク。」

とするだけで若干マシになる。

 

学んだこと

・"ですか?"はウザさを強調するのに役に立つ

・目立つものがあったら、その影を探るべし

 

 

今回のお題に対して、私が乗り越えるべき点は以下です。

1. 「キャラクターとセリフのマッチングをおろそかにしないこと」

2. 「キャラクターを注意深く観察し、隠されたイジりポイントを暴くこと」

 

1.については、具体的には以下の要素が必要です。

 ・適切な語彙の選択 

 ・適切な語尾の選択

コレをするだけである程度面白くなるのです。

 

実生活においても、自分や相手のキャラを正しく認識することは非常に大切です。

自分のキャラにマッチしたセリフを選択するだけで面白くなるのです。

相手の隠れたイジりポイントを見つけるのです。

 

それが簡単にできれば苦労しないんですけどね。

結局センスって話に行き着くんですけど、それについては今日はもう疲れたのでまた今度考察できたらいいなぁ

いじめる側のほうが社会に出てから役に立つ、という理屈

コレ。

anond.hatelabo.jp

ぐうの音も出ない正論。略してぐ論。

 

そうだよ。その通りだよ。結論から言うとね、全くその通りですよ。

単純に統計とったら、偉い人間ほどいじめる側だった(そしてその多くは現在も)んじゃないかな?

 

だってあいつら自分のことを褒めてくれる仲間だらけですもん。

仲間同士での批判の許されない空気に年中入り浸ってる奴らですもん。

そりゃ気兼ねなく努力できますわ。

 

いじめっ子がままごとみたいな恋愛して涙流している間、いじめられっ子は恋愛する権利も剥奪されて今日の惨めな出来事を思い出し、明日が来ることの絶望を思って涙を流しているのです。

いじめる側はそんなこと考えもしないんだろうね。

 

いじめる側は、いじめられる側みたいに、周囲の目を気にしておっかなびっくり生きてない。

ただ歩いてるだけで、ただ座ってるだけで、「気持ち悪いんだよ」なんて言われたこと無い。

床屋が変わって少し髪型が変わっただけで吊るしあげられて笑われるようなことも経験してない。

常に自分に自信を持ち、かつ他人をコントロールしてきた人間に、いじめられる側が社会性において勝つことはかなり難しい。

彼らの声はでかい。

周囲に仲間を作りながら生きてきたからだ。

彼らとの口喧嘩は必ず劣勢になる。

なぜなら集団は常に彼らの見方だからだ。

そういう環境でないと彼らは私達と戦わない。

 

いじめる側は自分のやっていることが人間的に惨めなことだなんて思っていない。

常に自分が肯定されている感覚を持っている。

その感覚は多くの苛められる側にはわからないのだろう。

あそこまで客観性を捨てて人生を送れるのというのは、根本的なものが違うからとしか思えない。

だからいじめる側は情報発信するときに「それがどう思われるか」なんて考えない。

自分が気持ち良いかどうかしか考えない。

だから経験を積めるし、そうやって人と関わっていく中で様々なことを学んでゆくのだろう。

そして語るのだ。「あの頃は俺も若かった」と。

 

いじめられっ子は違う。

学校生活の中では、「何をすれば目立たないか」ということしか考えない。

どうすれば人に馬鹿にされないか、それだけで頭の中はいっぱいだ。

髪型を変えるなんてもってのほか。

新しい友だちも、スクールカーストに照らし合わせて慎重に選ぶ。

何か意見があっても、クラスの上層部の人間にしか発言権はないので、無意味だ。

次第に何も考えなくなる。

日陰を求めて徘徊する糞みたいな人間になってゆく。

彼らに残された道は勉強だけ。

それもできなければ、いじめられっ子同士でお友達ごっこに興じるだけ。

彼らは人と積極的に関わることはできないし、それ故成長度合いもいじめっ子に比べて少ない。

そして彼らは何も語らない。語れば過去のいじめっ子の幻影がこう言うのだ。

「なに喋ってんの?糞が。気持ち悪いんだよ」と。

 

だからいじめっ子の方が役に立つのは正しいと思うよ。

同調圧力で人を支配する日本社会では、特に。

だからブラック企業なんてのが当たり前に存在するんでしょ。糞が。

 

でも数は比較的少ないとはいえ、いじめられる側の人間が社会の表舞台に立つことだってもちろん多い。

個人的な見解で裏付けはないので申し訳ないのだけど、彼らに特徴的なのは、同調圧力を使わずに人を動かすこと。

つまり理屈で人を動かすこと。

 

自分の意見を同調圧力を駆使して発信するいじめる側の人間と、

それらに頼らず理屈で以って意見を発信する人間。

 

有能な人間が付いていくのはどちらのタイプか。明白である。

上司が評価するのがどちらかは知らんけど。

 

理屈に依存して意見を発信する場合、当人が無能だと目も当てられない結果になるので自然淘汰されるが、

同調圧力はどんな無能でも活用できる。

だって声をでかくして、自信満々に振る舞えばだれでも発揮できるんだから、無能が混じりやすい。

いじめる側で有能な人間ってのは圧力と理屈を同時に行使するんで最悪だけどね。

腐る程いるけど。

最も醜悪な人間を形成すると思う。

 

 

謎曲紹介+α

なんでこんな美味しい餌が落ちてるのに誰も食いつかないの?って思うことってよくありますよね。

私の場合は歌なんですけど。

 

まずこれ。この記事書くきっかけになったやつ。

soundcloud.com

 

どんな感想を言えばいいかわからない。

これだけ連呼されてもそばを食べる気は一切湧いてこない。

そんな曲。

気持ちだけは伝わった。

 

次これ。

soundcloud.com

ぎゅってしたくなる。

自分の体を。

これを即興で歌った鬼才に幸あれ。

ラブリーサマーちゃんの歌は生温いけどヒリヒリする。

 

あとこれ。

soundcloud.com

上2つに比べたら少し霞むけど、初めて聞いた時は衝撃的だった。

まぁ、普通にいい曲。箸休め的。

 

soundcloud.com

サビに全部持ってかれた。

いい曲であればあるほど謎しか残らない。

ジャケットが最高。

 

最後に普通に好きな曲を、普通に紹介しておしまい。

soundcloud.com

かがくのちからってすげー、って思った。

 

誰かがこの記事を見て曲を聞いてくれますように。

以上。

今回の教訓

夜の勢いに任せて書いた前回の記事が注目されててビビるわ。

政治系のネタはこんなクソみたいなブログだろうと荒れるね。

予防線も無駄だったね。

今日やったことといえば、三時間くらいかけてitunesのプレイリスト作ってた事くらいだね。

 

そんな下らないことしている間にも信念を持った方々があんなクソ記事にコメントしてくれて、ありがたい話ですけどね。

皆さん論点がそれぞれ違うので、前回の記事のテーマにそれらの批判要素を盛り込んだ場合、激しくとりとめのない記事になる気しかしません。

そこは私の実力不足が原因なんで、次回からはもう少し頭を使って書きましょうってのが今回の教訓ってことで。

政治系はデリケートに扱いましょうってことで。

色々うまくいかないのはネガティブであるのが原因なんじゃなかろうかと思えてきた。

 

仕事がうまく行けばポジティブになるんじゃないかと思っていた。

実際、大学の研究室では周囲の人間より優秀であるという自負からポジティブになれていた。

研究作業の際に雑念を持ち込むこともなかった。

 

今は違う。

何をするときにも言いようのない不安があって、作業対象に脳味噌の焦点があっていないような気分だ。

意識を対象物に注入できていないのだ。

 

カウンセリングでも受けようかと思ったが、実際調べているとなんかバカらしくなってくる。

どうせ「自分に自信を持つためには」みたいなそこらのwebページに書いてあるような事をそのまま言われるのだろうと思う。

文面を読むのと人から直接言われるのでは後者のほうが圧倒的に効果的なのだろうが、わざわざ電車で1時間近く揺られてそんな自己啓発セミナーまがいの個人レッスンを受けに行くのは、下らないんじゃないかと思えてくる。

 

そもそも自分のことを自分の言葉で話すのは反吐が出るほど嫌いだ。

これは私がネガティブな性格だからとかそんなんじゃなくて、単に価値観の問題だと思う。

単純に、醜い行為だと思う。

だから就職活動もものすごい自己嫌悪に苛まれながら行なっていた。

もう二度としたくない。

カウンセラーに向かって「自分はこんな人間なんですよ」なんて言ってる自分を想像すると恥ずかしくなってくる。

 

小さな成功体験とやらが大切らしいが、そんなものどうしろというのだろう。

私の形成してきた価値観では「成功体験=他人を出し抜くこと(≒人から褒められること)」となってしまっているが、そこから改める必要があるのか、それはどうすればよいのか。

現在の価値観を利用して成功体験を重ねることは難しい。

習い事でもしてみる?

 

むーん

ミスりまくり侍。

 

今の会社に入って入って1ヶ月と少し。

今日は「超頑張ってください」って二回言われた。

「ヤバイ」しか頭に浮かばないわけで。

生き返っていいなら上司の目の前で切腹したいよね。

 

福島を食べて応援って言うけど、福島産の巨大スイカとか巨大マグロとか売りに出されたら少し引くよね。人間だもの