いじめる側のほうが社会に出てから役に立つ、という理屈
コレ。
ぐうの音も出ない正論。略してぐ論。
そうだよ。その通りだよ。結論から言うとね、全くその通りですよ。
単純に統計とったら、偉い人間ほどいじめる側だった(そしてその多くは現在も)んじゃないかな?
だってあいつら自分のことを褒めてくれる仲間だらけですもん。
仲間同士での批判の許されない空気に年中入り浸ってる奴らですもん。
そりゃ気兼ねなく努力できますわ。
いじめっ子がままごとみたいな恋愛して涙流している間、いじめられっ子は恋愛する権利も剥奪されて今日の惨めな出来事を思い出し、明日が来ることの絶望を思って涙を流しているのです。
いじめる側はそんなこと考えもしないんだろうね。
いじめる側は、いじめられる側みたいに、周囲の目を気にしておっかなびっくり生きてない。
ただ歩いてるだけで、ただ座ってるだけで、「気持ち悪いんだよ」なんて言われたこと無い。
床屋が変わって少し髪型が変わっただけで吊るしあげられて笑われるようなことも経験してない。
常に自分に自信を持ち、かつ他人をコントロールしてきた人間に、いじめられる側が社会性において勝つことはかなり難しい。
彼らの声はでかい。
周囲に仲間を作りながら生きてきたからだ。
彼らとの口喧嘩は必ず劣勢になる。
なぜなら集団は常に彼らの見方だからだ。
そういう環境でないと彼らは私達と戦わない。
いじめる側は自分のやっていることが人間的に惨めなことだなんて思っていない。
常に自分が肯定されている感覚を持っている。
その感覚は多くの苛められる側にはわからないのだろう。
あそこまで客観性を捨てて人生を送れるのというのは、根本的なものが違うからとしか思えない。
だからいじめる側は情報発信するときに「それがどう思われるか」なんて考えない。
自分が気持ち良いかどうかしか考えない。
だから経験を積めるし、そうやって人と関わっていく中で様々なことを学んでゆくのだろう。
そして語るのだ。「あの頃は俺も若かった」と。
いじめられっ子は違う。
学校生活の中では、「何をすれば目立たないか」ということしか考えない。
どうすれば人に馬鹿にされないか、それだけで頭の中はいっぱいだ。
髪型を変えるなんてもってのほか。
新しい友だちも、スクールカーストに照らし合わせて慎重に選ぶ。
何か意見があっても、クラスの上層部の人間にしか発言権はないので、無意味だ。
次第に何も考えなくなる。
日陰を求めて徘徊する糞みたいな人間になってゆく。
彼らに残された道は勉強だけ。
それもできなければ、いじめられっ子同士でお友達ごっこに興じるだけ。
彼らは人と積極的に関わることはできないし、それ故成長度合いもいじめっ子に比べて少ない。
そして彼らは何も語らない。語れば過去のいじめっ子の幻影がこう言うのだ。
「なに喋ってんの?糞が。気持ち悪いんだよ」と。
だからいじめっ子の方が役に立つのは正しいと思うよ。
同調圧力で人を支配する日本社会では、特に。
だからブラック企業なんてのが当たり前に存在するんでしょ。糞が。
でも数は比較的少ないとはいえ、いじめられる側の人間が社会の表舞台に立つことだってもちろん多い。
個人的な見解で裏付けはないので申し訳ないのだけど、彼らに特徴的なのは、同調圧力を使わずに人を動かすこと。
つまり理屈で人を動かすこと。
自分の意見を同調圧力を駆使して発信するいじめる側の人間と、
それらに頼らず理屈で以って意見を発信する人間。
有能な人間が付いていくのはどちらのタイプか。明白である。
上司が評価するのがどちらかは知らんけど。
理屈に依存して意見を発信する場合、当人が無能だと目も当てられない結果になるので自然淘汰されるが、
同調圧力はどんな無能でも活用できる。
だって声をでかくして、自信満々に振る舞えばだれでも発揮できるんだから、無能が混じりやすい。
いじめる側で有能な人間ってのは圧力と理屈を同時に行使するんで最悪だけどね。
腐る程いるけど。
最も醜悪な人間を形成すると思う。