考察するふりだけする奴の気持ち悪さについて
この記事がクッソ気持ち悪かったので毒抜きのために愚痴愚痴言います。
何が気持ち悪いかって、「俺は中立派なんで、賛成反対どっちの意見もニュートラルに聞きますよ」ってこれみよがしに主張してるところね。
で、結局
「判断つかないね。閉廷!」
で終わってること。
道徳の時間じゃねんだよ。
「小中高の教員にありがちな誰も傷つけないように気を遣った話し方」というのが元来大嫌いなので、それを思い出してとても気分が悪くなりました。
ネットとTVの乖離を紹介するという体の記事ならともかく、
記者という個人を記事の登場人物にして色々考えてるふりして終わるって、とても糞だと思います。
記事の流れはこんな感じ
ネットでは鳥越にたいしてこんなこと言われているよ。不評だよ
↓
記者「同感するところが多いのである」
↓
ところがTVではその逆だよ。好評だよ
↓
記者「私やネットの意見はひねくれものなのか。」
↓
記者「投票まで特になにもしないで静観するよ。」
記者、何も考えてないよね。
ネットの意見に同意する理由は「意見の内容に同意したから」で、
TVでの評判から「私やネットの声はひねくれ者たちの雑音にすぎないのだろうか」って判断した理由は、コメントを出した有名人が「百万人単位の視聴者が欲しがっている言葉を口にすることでテレビに出続けている、世間の空気読みのプロ」だから。
こいつ、何も考えてないよね。
で、具体的な考察するのが難しいかって言うとそんなこともない。
だってネットとTVで見てる所違うんだもん。
記事内で挙げられたネットやTVの引用文を見ると、
「ネットでは実務能力を問うていて、テレビでは人柄を問うている」
という視点の違いがあることは明白。
こんなん中学生でもできる考察だろうに、
なにが「こういうときは政治から距離をとろう。」だ。
ネットでは選挙後に焦点を当てていて、TVでは選挙自体に焦点を当てている、という見方もできる。
TVでの反響にしたって『TVタレントはその職業の性質上、人が人を評価する際に好感度というものがどれほど大きな影響を与えるのか、嫌というほど知っているはずだ。故に実務能力以上に好感度の評価に重きをおいているのではないか。事実、前都知事は...』
的な事言えるんじゃないのか。
実際のところは誰かの操り人形になってるだけかもしらんけど。
両者の意見に焦点の違いがある以上、考察の方向性はいくらでもあると思うし、どっちつかずの結論に持って行くにしてももっとやり方があっただろう。
記者自身の意見を何も言わず、他人の言葉だけ紹介するだけなら最初からそういう形式を取れ。
「同意するところが多い」とか「私はひねくれものなのか」とか、何も言ってないのと同じだろう。
他人の意見だけ紹介だけして、記事の締めに
「情報集めをするとまた何か言いたくなるかもしれないので、都知事選の話題は7月31日の投票日までの間、紙の新聞をゆっくりめくるだけにする。」
って、クソ過ぎませんかね...。
"また何か言いたくなるかも"って、今回の記事でも何も言ってないのと同じなんですが。
こんな記事書くと「この記事自体も何も言ってないというオチ」みたいなメタネタ言いたがる奴多いですけどね、まぁ、なんというか、特に良い返す言葉はありません。